はたらくメンタルクリニックブログ HATARAKU MENTAL CLINIC BLOG

発達障害の「診断」を希望される方へ

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はじめに

当院に相談に来られる方の中で「発達障害の『診断』をしてほしい」と要望されるかたが増加しております。しかしながら、当院は、発達障害の「診断」を行っておりません。(診断以外の診療は可能です)
それは「発達障害を軽んじているから」ではなく、発達障害という診断の重さと、その後の人生への影響の大きさを痛感しているからです。

ここでは、診断を希望される方がとても多い現実をふまえ、

  • 発達障害とは何か
  • なぜ診断が難しいのか
  • 診断を受けるメリットとリスク
  • 治療や支援の現状
  • 「診断がなくてもできること」

についてお話しします。

なお、「診断」はしませんが診療自体は可能です。(但しコンサータ、ビバンセの処方はできません)

発達障害とは ― 生涯にわたる“重い診断”

発達障害は、「幼児期などに始まり、脳の発達に由来する特徴が長期にわたって続く状態」という定義がありますが
実質的には「脳の器質的な特徴」によって生じる先天的な特性とされており、
人生の途中で突然「発症する」病気ではありません。
そのため、診断には幼少期の行動や発達歴が非常に重要です。

精神科で扱う病気には、うつ病や不安障害などさまざまありますが、
これらは基本的に「病気の状態」として治療によりある程度の回復が期待できるものも多いです。

一方、発達障害は回復を前提としない特性の診断です。
一度診断がつけば、その人は生涯にわたって「発達障害を持つ人」として扱われることになります。

したがって、発達障害の診断は一時的な抑うつや不眠よりも、
また長期にわたる統合失調症などよりも、人生における意味がはるかに重い診断だと言わざるを得ません。

スペクトラムという考え方と診断のむずかしさ

発達障害は「スペクトラム(連続体)」の概念で理解されます。
“健常”と“障害”の間に明確な線があるわけではなく、その閾値は定まっていません。

株式会社Avenir

極端な話、

  • 発達障害らしさが10%でも発達障害といえる
  • 発達障害らしさが90%あっても発達障害でないといえる

といったことが医師の采配次第で起こりえます。
心理検査も一部ありますが、最終的には医師の判断となることは変わりません。
そしてそれは医師により大きな差があります。

医師としても「グレーゾーン」という言葉に逃げることもできます。
しかし私はそれは優しさではなく無責任なのではないかと思います。

また、疾患同士、例えばASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)などの境目も
どんどん曖昧となるようにデザインされています。

https://www.childneuro.jp/general/6578

心理検査はありますが、最終的には医師の臨床判断に委ねられます。
現行の国際診断基準DSM-5では症状があり、社会的に困っていれば障害の基準を満たす
と定められていますが、これは「脳の器質的な障害」という前提と相容れない側面を持ちます.

つまり診断にはどうしても恣意性や主観が入りやすいという問題があるのです。

精神医学会で近年主流の操作的診断にも問題があります。
ADHDは忘れっぽい、ミスが多い、ASDは人間関係がうまくいかない、という傾向があったとしても
「逆は必ずしも真ならず」であり、忘れっぽいからADHD、人間関係がうまくいかないからASD、
ということにはなりません。しかし、操作的診断だとそういうことになってしまいます。

診断を求める心理 ― その奥にあるもの

当院にも「自分は発達障害ではないか」と相談される方がたくさん来られます。
多くの方は、次のような思いを抱えています。

  • 自分の生きづらさや失敗を説明したい
  • 「障害だから仕方ない」と割り切りたい
  • 周囲の理解や配慮を得たい

こうした気持ちは自然なものです。
しかし一部には、「障害のせいにしたい」「特別でありたい」といった
アイデンティティの課題や思い込みの強さといった別の心理的問題が隠れていることもあります。
本物の発達障害者の方は、逆に発達障害であることを隠すことも多いです。
それは、発達障害であることで受ける差別や苦しみを肌で感じているからかもしれません。

なら自称発達障害は甘えなのかというとそうとも言い切れません。
知的ボーダーラインやパーソナリティ障害、愛着障害など、
発達障害よりも支援を受けにくい困難な気質があることもあり、
事態がより複雑であることもあります。
もちろん、うつ病や統合失調症、もしくは身体疾患なども当然検討する必要がありますし、
そこの検討は当然に医院としての業務の一環であります。
ただ当記事でいいたいのは「自分は発達障害に違いない」という意気込みで来られると、
ちょっとややこしくなるということです。

また、社会の側にも病気を作る構造があるのかもしれません。
たとえば職場、ひいては社会全体において「仕事ができない」「協調性がない」といった困った人を、
「発達障害だから仕方ない」「病気だから治療して」とラベルを貼ることで、
責任を回避する――というところもあるかもしれません。

診断を受けることの現実

診断がつくことで、過去の苦しみに説明がつき、心が軽くなる方もいます。
しかし一方で、その日から「健常者ではなく障害者としての人生」が始まります。
発達障害の診断はゴールではなくスタートです。

発達障害者は障害者総合支援法の対象となり、周囲には合理的配慮義務が課せられます。
ただし、その権利は無限ではなく、
「発達障害だから解雇されない」というわけではありません。
むしろ偏見や雇用上の不利を受けることも少なくないのが現実です。

発達障害だから、ADHDだから、ASDだからどう扱えばいい、
などとといえるものはなく、特性は百人百様です。
支援する側も何をすればいいのか分からないことも多いです。

現実に、精神障害者の雇用率は、身体障害・知的障害よりも低く、
企業からは「もっとも扱いづらい」と見られてしまうケースもあります。

診断を受けることで支援が得られる一方、
偏見や差別にさらされるリスクも背負うことになります。
その覚悟なく安易に診断を求めることはお勧めできません。

治療と薬について

発達障害には根本的に治す薬は存在しません
ADHDに対しては以下の薬が認可されています。

  • コンサータ(メチルフェニデート徐放剤)
  • ビバンセ(リスデキサンフェタミン)
  • ストラテラ(アトモキセチン)
  • インチュニブ(グアンファシン)

当院では、コンサータ・ビバンセの処方は行っていません。
これらは覚醒剤に近い性質を持つ薬であり、慎重を要するためです。

ストラテラはもともと抗うつ薬として開発された薬で、サインバルタに似た構造でありますが、
ゆっくりと緩徐に効く薬であるとされます。
診断如何にかかわらずとりあえず使ってみるというのは無くはないとは思いますが、
近年は供給不足で手に入りにくいという困った状況もあります。

薬で改善できる部分は限定的であり、
多くの場合は自分の特性を知り、フィットした生き方を探すことが重要となります。

「じゃあ自分の苦しみは何なのか?」

診断がつかなくても、生きづらさや苦しみがある人は少なくありません。
しかしそれは必ずしも発達障害によるものとは限らず、
性格傾向、アイデンティティの揺らぎ、成熟性、知能、ストレス環境、対人関係の問題、など
複合的な要因が絡んでいることが多いのです。
当院では時間をかけてそれを丁寧に解きほぐしていきます。

人は誰しも、生まれ持って“強いカード”と“弱いカード”を抱えて生きています。
残酷にもそれは不平等な配分であることも多いです。
しかしそれをどのように使い、環境を工夫しながらより良く生きていくか――
そこにこそ支援の意味があります。

当院からのお願い

当院は、患者さんの困りごとに丁寧に向き合い、
できる限りの支援を提供することを大切にしています。

しかし最初から「自分は発達障害だ」と決めつけた状態で来院されると、
ここに書いたことを説明するだけで1時間が終わってしまい、
本当に必要な支援に辿り着けないことがあります。
その結果、患者さんにとっては「ただ否定されて終わった」という不快な経験だけが残ってしまう場合もあります。

近年、5分や10分など短時間しか対応しないメンタルクリニックも少なくありませんが、
当院では患者さんとしっかりお話しする時間を最大限確保するために、可能な限りの経営努力を続けております。
そんな中そのような感想を抱かれては、互いにとって不本意なこととなります。

来院を考えている方にはぜひ、次のことを考えていただきたいと思います。

  • 自分が発達障害だと思うのは気の迷いではないか?
  • 自分が発達障害だという自分なりの結論を否定される可能性もがあるが大丈夫か?
  • 発達障害と診断されたら、一生そのラベルを背負う覚悟はあるか?

まとめ

発達障害の診断は、人生を左右するほど重みのある決断です。
診断によって救われる方がいる一方、
望んだほどの配慮が得られず、むしろ不利益を被る場合もあります。

当院は、安易に疾患や障害のラベルを貼るのではなく、
まずは現在の困りごとに対して何ができるかを一緒に考える、
そのような「生き方の悩み」をカウンセリングする機能も持っています。

発達障害の診断を求める裏には、今のうまくいかない状況を変えたい、という
苦しみやもがきたい気持ち、成長していきたい、良くしたい気持ちがあることでしょう。

診断がすべてではありません。
その人らしく生きるための道は、診断の有無を問わず必ず見つかります。

この記事をお読みの方へ

「発達障害かもしれない」という気持ちで悩んでいる方にとって、
この記事が冷たいものに映ったかもしれません。
しかし私たちが伝えたいのは、診断に頼らずとも今の苦しみを軽くする方法は必ずあるということです。
どうぞひとりで抱え込まず、安心してご相談ください。